引き出物をお願いに

京都の町家に工房をもっていらっしゃる今宵堂さんちに引き出物をお願いに行って参りました。ここは、以前、デートで二人で訪問した工房で、器があったかくて二人の好みにぴったりだったんです。そのうえ、奥さんのりえさん(といっても私より年下。だんな様は私と同いという若い陶芸家さん夫婦です)との会話がとても楽しくて、引き出物に関しては話し合うことなく今宵堂さんに決まっていました。で、二度目の訪問ではだんなさんの連さんともお会いすることができました。オサレな髪型に服装に眼鏡で、おぉ!これぞげーぢゅつか!と初めは大変緊張してしまいましたが、芸術家さんのような気取った緊張感を持っている方ではなかったので大変、気楽に仲良くさせていただきました。お話を聞いていると、どうもうちの相方と共通するような「ものづくり」の方なんだなぁということがわかってきました。蓮さんのポリシーは連さんの言葉を私の言葉に変えてしまうのは残念だし、正しく第三者に伝えることができないので、イメージでしか書きませんが、蓮さんもうちの相方も、器づくり、酒づくりに対し、仏師のような態度で向き合っているような気がします。ものに対して自然に起こることを支えている、、、ような。ムツカシー。仏師って仏像彫り師ね。仏像は、仏師がデザインして彫るのではなく、無心になって木に向かえば自然と仏が彫り上がる・・・ちゅーような話が有名なはず。ま、それに通ずるものを蓮さんも相方も目指しているみたいです。すばらしいなぁ、こういう考え方はとても好きです。無我の境地みたいなもんだもんね。私なんて有我の塊みたいだわ。反省。
それと、いつも全体の中の器というのを意識していらして、料理を乗せてはじめて完璧になる器、つまり器だけではどこか足りないような、そういう器を目指して造っていらっしゃるようです。お茶をやるまで、楽茶碗の黒というのが、いったいなにがいいのかわからなかったけど、あのごつごつざらざらした茶碗の真っ暗な中の鮮やかなお茶の緑がすこぶる映えるのを見ると、やっぱり評判のある茶碗なんだなぁってことが理解できるようになりました。さらにお茶を点てた黒茶碗は畳の上で強い存在感を放ったりします。きっとお茶の入っていない茶碗が存在感ありありでもお茶を点てると、、、そうでもなくなるってことがあるんだろうなぁ。お茶碗の厚さ、土の質の違いで、点てるときの温度と泡立ち具合が違うために、味が茶碗自体にかなり左右されているように思います。緑に対する色の合わせもお茶の美味しさに視覚的に左右するだろうし。そう考えたら、同じ料理も器次第で味が大きく変わる可能性は大きいんやろうなぁ。お酒もお猪口によって味が変わるぐらいだもんね。魯山人が料理と陶芸とやってたわけはこの辺なのかな?とまぁいろいろ興味深いお話で大変楽しまさせていただきました。
さてさて、勝手ながらリンクはらしていただきますが、その器とは、ここをご覧遊ばせ。
http://www.koyoido.com/