わずかに動く

動かなければ何も変わらない


と友達の言葉。これに今日はとても支えられた。良い方向への努力、しなければならないことへの努力、それに対してまったく気力がでない今、動いて悪い事態になっても動かなければ脱出できないというのは理にかなってる。
お茶の時は頭もスッキリしていたのに、なんでやろ。ただのわがまま病なんやろかとも思う。


今、ともかく頭がスッキリする時間は、茶道のお稽古の時と、宮尾登美子の松風の家という裏千家の話を書いた小説を読む時だけ。やたら茶道関係が好きなのは別にして、ともかくその裏千家の話がとても心打たれる。。。宮尾登美子の書き方もうまくて、ぐいぐい引き込まれて行くので、きりのいいところまで歩きながらでも読むほど。んな読書家とちゃうのに。その、明治のころの落ちぶれてしまった裏千家が利休の祖先だというプライドを守りながら貧困をぐぐっとがまんしてお家再興の日を待つのである。というか、やっと再興するチャンスをつかんだところまで読んだ。若い宗匠がいやいやながらも14才でお家元になり、いやいやながら母の進める嫁さんをもらい、家は衰退の一方で、という負に負を囲まれた状況でも、それでも最後の最後まで茶道を守り続けるその姿。「現代人は甘い」と思ったよ。そりゃ、「私は甘い」と言うべきところやと思うけど。
だって、私はやりたいことを選んでるのに、この宗匠は選んでない。さらに、貧乏ゆえに宗匠は仕事道具の茶道具を売ってお金にして行く。道具がなくなれば茶会も開けずという悪循環。だからと言って、転職はゆるされず。好きでもない政略的な結婚に応じてその上、嫁さんを守る。えらい。えらすぎる。逃げ道がないというのは大きな力を得るもんなんやなぁ。
現代ではそこまでしなくていいかもしれないけれど、それに続けようにも続けられないことがあるから、まったく同じように歯を食いしばって耐えろというのは無理があるけれども、そういう太い人間力は、こういうストイックな経験からでないと得られないように思える。
お門違いでしょうが、耐える訓練をしようと思いました。