1166887206こどもとおや

結婚前にひしひし思うのは、自分が一個人の人なんだってこと。所属が変わるってこと。所属が変わるから一個人なんだってことが強調されるように思える。今までうちの親と対立したことがほとんどない。親の言いなりに動いてきた、というより、親は私のやることなすことに反対してこなかった。だから、比較的、親の下でも個人の意思というのは持ってたんだけど、それでもそこで親の意見というのはそこここで参考にしてきたんよね。それが他のところに信じる人ができると、親の意見もときどき?になる。こういうのは彼氏ができたら誰でもブチ当たる問題なのかもしれないけれど、なっかなか彼氏のできなかった私には今更の話だったりする。親の反対を押し切って。。。というのは実はとても立派なことだなぁと思うのよね。だって、それは親と対等でいる証拠やん。なーんか、今はようやく親の持ち物だった私が一個人として離れるところのように思う。いま、親に反対されているわけじゃないけど、こう些細なことで親と対立すると、ようやく「私は親の所有物じゃない!」という自覚が出てきた。いままでも同じようなことは思っていたけれども、親と対立しないとなんとなく所有物の域を越えた感がなかったんよ。そうやって所有物外になると、親が未だに所有者であるように思ってることに気がつく。自分の持ち物がそうでなくなるのに戸惑うんだろうなぁと思う。ちょっと気の毒だなぁとさえ思う。
自分が親になったとき、子供は自分の所有物じゃないということをしっかり自覚しようと思う。
そうは言っても、好き放題にさせてもらった我が親には感謝だなぁ。
どんどん、「人になんて言われようが、私はこうする!」という固い意志があんましないのかなぁ、、、と自分に思ったりしてきた。親と対立する前に対立を避けてたんかなぁ。ふと気がつくと、親とどう接するかという年齢を遥かに越えてしまったな。