流れてどこどこゆくの

教免のことや、向こうでの仕事のことを調べて調べて、ある一つのことに気がつきました。やっぱり、未練があるのだと。あの状態で研究を終えてしまうことに納得いってないということ。挫折しきってないということ。ひっかかるということ。その状態で同居することに対して相方に恩着せをしようとしていました。その変わりに私を大事にしなさいよ、と。ただ単に再チャレンジする勇気がないことをすり替えただけやったと思います。もちろん、一緒に暮らしたい。子供も早く欲しいと思ってます。天秤の両サイドに重くのしかかるものはどれも外し難かったです。なるべく一緒に暮らす方向に傾けるため、かなり重さのある「研究してきた」という石を軽くできるかどうか吟味しつづけました。それを教師に変えれば、軽くなると思ったわけです。教免は先日の日記に書いたようにほぼ不可能です。編入学して2年ほどは費やさなければなりません。通える範囲に理系の大学はありません。「研究してきた」を教師に変えることで別居という石が増え、天秤は別居方向に傾きました。教師の石を外しました。浜田という石を変えてもらおうとしました。相方が酒造りに真剣な面を見ると、彼の仕事の足はひっぱりたくないという思いが強くて、それは自らもできませんでした。それでも同居に傾けようとした私は、恩着せの石を置きました。同居に傾くものの、恩着せの石は見返りを求めてしまう腹黒い悪魔な石でした。その石を置いてもちっとも前向きになれませんでした。相方をなじることもありました。それがきっかけで、しっかり自分の心を見直すことにしました。「研究してきた」の石が捨てきれない理由は、すでに書いたことと、別居してまで研究すると言えば、相方が愛想をつかすかもしれないという不安があったからです。今でも不安です。周りからは自分の我欲のためにそこまでするのか、と思われるかもしれません。自分が挫折するために研究職にもどるのか、あほか、と。あほだろうなぁと思う。周りに迷惑だろうなぁと思う。でも、本心は挫折しないで一つの研究を完結したい。完結するか挫折に終わるかはわからないけれども、もう一度、純粋に研究に向き合いたい。あと2年だけ研究に向き合えば、それで納得して終えようと心に決めました。おそらく、年齢的なものと空白期間があったことで、採用には不利です。それに、私自身が相方のなるべく近くにいたいと思うので(相方はどこでもいいとは言ってくれてますが)、就職場所も限られます。だから、ダメかもしれません。それならば、それでいいと思ってます。準備段階でしんどいと思うこともあるかもしれません。その壁にぶちあたればそれでいいと思ってます。ダメだったという事実も大事なことだと思います。スタートが別居でもいいと言ってくれた相方に大変感謝しております。彼の酒造りにプラスになることならなんでもしてあげようと思います。って、それは前々から思ってたけれども、固く誓うのでした。
本来は、このような内容を公開すべきではないかもしれません。ここに書いただけの理由でこのような決心にいたったのではないし、ここに来るまでたくさんの葛藤があったことも書き加えることができないほどです。研究に対しても、辞めた当初と今とでは精神状態も違うし、その変化なくしてこの決心に至ったことは説明できません。でも、上手く書けないです。非難されることは多いと思うし、自分を肯定しようとしてるわけではないけれど、隠さないといけないことでもないと思ってます。ただそれだけです。ときどき、ブログって難しいなぁと思います。